響きと鳴りの区別

大きな声が出ている状態について、「鳴っている」とか「響いている」と言う言葉が使われる。

どちらかと言えば、「鳴る」は「響く」の中に含まれているような感じがあるのだが、

結果としては似たような意味であっても、成り立ちは違うのではないだろうかと考える。

そして、そこを区別することが大切なのではないだろうか。

 

二つに共通したイメージは、「音が大きくなる」であろう。

「響く」は、「共鳴」という言葉と繋がっている。

共鳴は、声帯から上の咽頭腔や口腔、鼻腔といった気道に影響される。

そして、「鳴る」は、「効率」という言葉と繋がっている。

声帯原音そのものの音量を示すのだろう。

息が声帯振動に変わる効率の良さを、「鳴る」と定義してみる。

つまり、この二つは発生している場所が異なる、別物であるということ。

だからこそ、認識としてその区別が必要であると思う。

 

単純に声量を上げたいというときにどうするか?

「響き」を増やすやり方もあれば、「鳴り」を増やすやり方もある。

それ熟練度によって異なるだろう。

例えば、初心者は、まだ「響き」が不十分な場合が多いので、

「響き」を訓練する方が効果的であると思う。

響きとは、全周波数を含むノイズ音である声帯原音から、特定の周波数帯を強め(山)、

不要な周波数帯(谷)を削る作業である。

人の声のピッチは、もっとも低い周波数の山によって決まる。

例えば「ラ」A4440Hz)より、その倍音である880Hzの音量が大きく出ていたとしても、

ピッチはA4として聞こえてしまうのである。

正確には、明るいA4、声量の大きいA4として聞こえる。

そして歌手フォルマントと呼ばれる、最も響いた明るA4とは、

440Hzを最低周波数フォルマントに持ち、なおかつ3000Hz付近の倍音が増大した声である。

 

このような「響き」がある程度出来上がっている熟練者が声量を上げるには、

「鳴り」の効率を上げるしかないことになる。

声帯原音を大きくするには、まず息を量を増やすことだろう。

しかし、その反面、声帯がそれについて行けず、声帯の変換効率は落ちるので、

思った以上に声量は増えない。

これは、呼気量が増えると声帯が閉まるという生理的反応が邪魔しているようだ。

 

「そば鳴り」とか「鳴らし過ぎは良くない」という表現がある。

変換効率ばかりに頼って、響きが落ちていても気づかない状態であろう。

いわゆる、うるさい声だ。

うるさい声とは、アタックの連続した声だと考える。

 

音量を下げる場合には、声帯効率を下げることで鳴りを抑えると考える。

呼気のスピードは変えない。

呼気の量も変えない。

ただ変換効率だけを落とす。または響きだけを落とす。

つまり息漏れを起こさせることで、音量を下げる。

そうしないと、次に音量を上げた場合は、うるさい声になってしまうからだ。

この辺りは、もう少し考えてみたい。