こもった声と深い声

こもっている声と深い声とを混同しているのだと思う。

これを自分の耳で聴き分けるのは難しいのだろう。

日本人に男声オペラ歌手を真似させると、

こもった声を真似る人が多いように思う。

深い発声は簡単に真似できるようなものではなく、

こもった発声ならすぐ真似できるからだろう。

しかし、こもった発声をいくら練習して磨いたとしても、

深い発声にはならないのだろうと思う。

むしろやればやるほど間違った方向に向かってしまうのかもしれない。

 

深い発声を目指すのに、首の後ろ側を広げるとか、

吸い込むようにとか、後ろに向かってという意識を叩き込まれる。

それはたしかに効果的であることは実感できるが、

それは直接的な指導ではなく、弊害もあり得るのではないかと思うようになった。

指導者は、生徒の達成度合いに応じて、臨機応変にその指導方法を変えていく。

今までは後ろに引くようにと指導されてきても、

今度は前に飛ばすようにと全く逆のことを言われることもある。

つまり、発声訓練には誰にも共通する正しいメソッドがあるのではなく、

その人の状態に応じたバランスのとり方を教えてくれているのだと考える。

これで言い換えてみると、

「声を後ろに引くから、深い発声になるのではなく、

 後ろに引くことで、喉が広がり易くなる。

 喉が閉まりにくくなるから、深い発声になる」

 

ではこもった発声とはどういう状態であろうか。

「喉が広がっていない状態で、低い響きが強調されている」

と考えてみる。

実際の感覚では、吐く息の量が少ない。息が流れていない。

たっぷりと大量の息を流すことで、低い響きも結果的に増えるのではないかと思う。

オーディオで言えば、イコライザで低音部分だけを強調するのではなく、

全体の音量を上げることで、自然に低音も高音も大きく聴こえるのではないか。

特別に響きを意識することよりも、響きは結果的に付いてくるもの。

息を流すことを一番に考えればいいというように考えるようにしている。

これで結果的に、高い声も出るようになってきている。

 

 komo