指導者とシンクロする

「首の後ろ側を開いて」

このように、開く、開ける、広げろと言われたとしても、

本当に広げたりしてはいけない。

もし、素人がそうやろうとすれば、

ただ首の後ろの筋肉を固めてしまうだけになってしまうから。

だから、言葉の読み換えをする必要がある。

 

指導者は、生徒の首の中の覗いてそう言っているわけではない。

生徒の出す声の音を聴いて、そのように言っているだ。

だから、「首の後ろが閉まっているようなな声に聞こえる」と言うのが正しいだろう。

その言葉の表現は、指導者自身が良い声を出せている時に感じている感覚が、

「首の後ろが開いている」に相当するのだろう。

つまり、指導者は耳から聞こえてくる音色を、自分自身の感覚に置き換えて表現している。

そして、指導者自身の感覚と同じにように感じれば、良い声が出ると信じて指導する。

可逆的なものであるならば。

 

先生が見本で出す声を、真似るのはよくないと書いたことがある。

口先だけの声色を真似てしまうからだ。

それは単なるモノマネであり、

正しく使われるべきインナーマッスルが使われていないおそれがある。

しかし、声真似ではなく、その人物全体になりきるというのが効果的に感じた。

芝居の役者が、その役にはまり込む時のように、自分が捨て去れること。

例えば、先生の声を真似る時に、そのフレーズだけではなくその前の、

説明部分の時から、感情移入してなりきる。

つまり、自分が他人に教えるというところからその人になりきる。

生徒と先生の立場の関係があっては、先生になりきることはできないだろう。

自分も先生に見本を見せるくらいの感じを持ったとき、

感覚が共有されるのではないだろうか。

 

そういう心理状態で、音を真似る(声ではなく)。

身体、耳まで真似る。

もし、許されるのなら、先生が見本で声を出している時に、

一緒になって声を出させてもらうのはどうだろう。

見本の声は、黙ってちゃんと聞くものという道徳を崩してでも、

先生の声と、自分をシンクロさせてみるのは効果があるかもしれない。