痰が絡む

喉に痰が絡まった状態が長く続いている。

風邪と違って、喉の炎症や痛みは無い。

声帯に痰が付くことで重くなるためか、声が低くなる。

ゴロゴロと声がふらつく。

突然、音量が増えたり、小さくなったり、裏返ったり、かすれたりと

声のコントロールが効かない状態だった。

そんな中で本番を迎えたので、とても聞けたものではないと思っていたのだが、

遠くで聴いている人からは、まったく普通に聴こえていたと言う。

どうやら、声の響き成分だけがホールの後ろまで届き、地声のゴロゴロしした声は、

遠くまで届くことはないのだろう。

歌っている本人が聴いている声と、客席に届く声はまったく違う。

”傍鳴り”という言われ方があるが、これほど極端に違うものかと実感できた。

プロの歌手が歌っている近くでその声を聴くと、「ザーッ」と息の流れる音が聴こえると言う。

しかし、客席でそんなノイズ音は聞いたことはない。

「響き」の持つ力というものを、もっと信じなければいけないと感じた。

 

薄く延ばされた声帯の僅かな隙間に、痰が付着すれば声は暴れるだろう。

ちょうど、声帯結節(タコ)のようなものかもしれない。

声帯の隙間が、きれいに均等に引っ張られていることのありがたさを感じる。

いつも以上に、声帯に意識が向かう。

ほんのわずかなストレスを与えるだけで、むせ返って咳き込んでしまうからだ。

こういう咳は、心理的影響を受けやすい。

一旦喉に意識が向かうと、ほんのわずかな感覚違和でも咳に繋がってしまう。

そういうときは、気持ちを鎮めて、意識をそらすことで咳は消えていく。

喉の内部は、人間の触感の中でも最も過敏なものの部類に入るのではないだろうか。

 

私はつい最近まで、水をごくごくと喉を鳴らして飲むことができなかった。

できないというよりも、そういう飲み方を知らなかったからだ。

発声で喉を開けることを意識するようになってから、

水を飲む時に喉を全開するやり方を覚えた。

それまでは、喉が閉まった状態で水を飲んでいたわけだ。

ちなみに、薬の錠剤を飲み込むのも苦手であった。

喉にモノがつかえるという恐怖心があった。

 

恐怖心は、物事に過剰な意識を向けることから生まれると思う。

闇夜で幽霊を見るのも、意識が過剰な視覚をそこに向けてしまうからだろう。

一旦向いてしまった意識というものは、なかなかそらすことができない。

それが恐怖心というバインド状態だと思う。

 

喉を緩める。喉を開放する。

そのために、意識を喉に向けることが開放の妨げになることもあるだろう。

むしろ意識しないことの方が、開放には必要なのかもしれない。