一つの結論として

「ア」を発声したときのスペクトラム波形例を、ネット上で探してみた。

125Hzが最低周波数になっているので、これが基本周波数ということになる。

この125Hzの後に、250375と続く倍音成分の小さな山の群れが出てくる。

ピークを250Hzとした第1フォルマントF1である。

と言うことは、この「ア」の音階は、だいたいB2辺りということになる。

続いて500625750Hz倍音は続く。

この山は、690Hz辺りをピークとするF2である。

このF1とF2が母音を決定している。

ここではF2が最大音圧となり、次にくるF3は1250Hzをピークとするが、大きさはF2よりやや小さかった。

そこから、一気に音圧は低下して、2300HzをピークにするF4、3000HzをピークとするF5が現れている。

フォルマントの大きさの順は、F2、F3、F1、F5、F4というのがこの人の音声スペクトラムである。

 

この人の声を、歌手並みにするには、

F1、F2、F5を鋭く細く切り立たせ、それ以外の音域は無くしてしまうことだ。

ちなみに、この基本周波数125Hz250Hzに引き上げて、F1と一致させるフォルマント同調と呼ぶテクニックもあるらしいが、

このテクニックは、また別の機会に。

 

ネット上で、音声言語医学という分野を見つけた。

そこに用語説明があったので書いてみる。

ホルマント」

”声道の音響的特性は、音響菅としての声道の共振(共鳴)と反共振の性質だけで完全に規定できる”

ホルマント周波数は声道の形(調音姿態)によって決まり、

ホルマン帯域幅ホルマント周波数で振動する音波が声道を伝搬する際の損失(減衰)に依存する”

”損失が小さいほどホルマン帯域幅は狭く、共振は鋭い周波数選択性をもつようになる”

「アンチホルマント」は、ホルマントの全く逆の性質の反共振であり反共振周波数とその帯域幅を持つ。

そして、谷を形成する。

つまり、響かせることも大事だが、音を消す作業も大事だということが分かる。

それはノイズの少ない声を目指し、無駄な響きを作らないということにつながる。

そのためには、声の音色に耳を澄まし、それを聴き分ける意識が必要になるだろう。

 

発声に関わる論文を見ていたら、Q値というものが出てきた。

簡単に言えば、フォルマントの山の鋭さである。

wikiで調べると、”Q値が大きいほどエネルギーの分散が小さく、狭い振動数の帯域で共振している”と書かれている。

工学的には振幅増大係数とも呼ばれるらしい。

Q値が高いほど、急峻なフォルマントになる。そして、大きな音量を出すことができる。

なだらかなフォルマントは、狙った周波数の前後の音量も大きいということで、

エネルギーのロスが見られ、位相ずれによる打ち消しが生じる。

 

 

いろいろと難しそうな資料を並べてみた。

言葉は難しくても、言っていることはとても簡単なことだ。

ある意味、「声を後ろに回して」とか、「音を眉間に集めて」と言ったことの方が、

言葉は簡単でも、よっぽど複雑で難しいことを言っている。

私が調べて分かったことは、考え過ぎる必要は無いということだ。

「声を後ろに回して」と言われたら、そういうことが可能であると信じることだ。

それを、どうすれば後ろに回るのだろうと考えることは、無意味だと分かったからである。

声を後ろに回すことと、実際にそのような声が出るという現象には、

直接的な因果関係が見つからないだろう。

それを知ることで、随分気持ちもラクになる。

 

そのかわり、後ろに回ったような声というものを、

自分の耳でどれだけしっかりと捉えることができるか。

そこが鍵になる。

そういう声に今、自分が出している声が近づいているのか、それとも遠ざかっているのか。

その判断が、自分の耳できること。それが必要になってくる。

わたしたちにやれることと言ったら、そんな単純なことでしかない。

複雑な生理学的な動きなど、わたしたちには計り知れない世界の出来事だ。

 

「何もすべきではない」

つまり、何も余計なことをしてはならない。

というのも重要である。

ただひたすら、「美しい声」というもの、純粋に頭に描けるかどうか。

自分の声はこうだからとか、これができないから仕方がないという邪念に走らないことが大事だと思う。

すぐに結果を出したい、早く上手くなりたい、目の前で褒めてもらいたいというような気持ちが少しでもあれば、

それは結果的に、こっそりと、何か余計なことをしてしまう可能性がある。

そうやってついてしまった癖を、取り除くことは難しい。

こうすれば、何か劇的に変わるといったテクニックは無いと考えるべきだろう。

もし、声が劇的に変わったとしても、やっていることは、そこに気が付かないほどわずかな差であるから。

 

例えば、「声に地声の成分が強すぎる、もっと喉を緩めて」と言われたとする。

そして、「胸の辺りの響きをもっと強くして」と言われたとする。

でも、喉を締めているという自覚のない人が、喉を緩めることは不可能である。

では、なぜ、喉を締めているのか?

それは、胸の響きが弱いから、声帯の締め付けでそれを補っていたと考えてみる。

逆に言えば、声帯の締め付けで低い響きを出しているので、胸を響かせようとしてこなかったのかもしれない。

ならば、胸を響かせることで、喉の力が抜けるのかもしれない。

胸が響いていないので、もっと胸に響かせるという単純なことでしかない。

高音を出す時も同じであろう。

声帯を引っ張る力が弱いので、別な方法で高い声を出しているから限界がきてしまう。

余計な部分を使ってそれを補おうとはせず、正しいやり方ですこしずつ鍛えていくしかない。

意外と、やれることは単純なことでしかない。