フォルマントの山と谷

仮に、基本周波数100Hzで作られた「ɔ」に相当する合成母音を発生させたとする。

その音声スペクトラムは、100の整数倍に高次パルスがヒゲのように立ち並ぶ。

そのパルスの頂点をなだらかに結んでいくと、大きな山と谷が現れる。

この山がフォルマントである。

ɔ」の場合、500Hz1500Hz辺りに大きな山が存在し、その間は谷となる。

 

P・ラディフォギッドの「音響音声学入門」によると、

この「ɔ」の基本周波数を120Hz150Hzに上げたとしても、

ピークはやはり500Hz1500Hzに現れるという。

つまり、音程が高くなっても、「ɔ」の母音が「ɔ」として聞こえるのは、

その母音に対するフォルマント形状が決まっているからだと言う。

彼はそれを、”各母音に対応してそれぞれの母音を特徴づけるコード(和音)が存在する”

と言うように書いている。

つまり、母音というのは、ピアノで特定の和音を連打しているようなことだと言える。

 

 さらにその本では、 

”フォルマントは、声道内の空気の減衰振動の基本周波数に対応するものである”

”波形のスペクトルは、声道のフィルター特性によって決定される領域にピークを持つ”

と書かれている。

つまり、声道内の減衰特性によって谷を削り出し、結果的に残ったものが山(フォルマント)だということになる。

実際、減衰作用だけで山が削り出されたのか、それとも山を盛り上げる(共鳴現象)なのかは、私には分からない。

ただ、鋭いピークを持つ波形は共鳴現象の特徴ではあることから、その両方が起きているのではないかと思う。

 

フォルマントが急峻で鋭く尖った形状をしているときの音は、消失速度が遅いとラディフォギッドは書いている。

音叉のような純音は、数秒間にわたって音を持続できるが、

なだらかで広い周波数帯域に伸びるフォルマントを持つ音は、一瞬にして消えてしまうという規則があるらしい。

人間の声は、純音ではない複合音のため、すぐに音は減衰して消えてしまう。

ノイズを含んだ声がガサガサして聞こえるのは、音の継続時間が短いせいだろうか?

純音に近い声は、密度の濃い声になるのだろうか?

そんな推測が成り立つ。

 

私は、声が響くという言葉をあまり信じていない。

それは、「もっと声を響かせて」と指摘されても、上手く響いてくれないからだ。

そうなると、本当に声は響くのか?という疑いを持つ。

「響く」という言葉には、特に何もしなくても、エネルギーを加えなくても、勝手に音が大きくなるようなイメージがある。

そんなことが、可能ならこんな都合のいいことはない。

  

菅の共鳴原理は、声帯から出ていく方向の音波と、口から放射されるとき、

逆方向に戻って来る音波が合成されることを繰り返して、音量は増大する。

ただ、このとき合成されて大きくなる波形とは、声帯から口までの気道の長さに応じた周波数を持つ

音域に限られる。

それ以外の音は打ち消し合うことで音は消滅する。

このようなフィルター特性によってフォルマントは形成される。

 とかとにかく、「響く」というのは、

「どこかの音域を犠牲にして、どこかの音域を生かすこと」と考えた方が理解しやすい。

「響いていない」というのは、減衰フィルターが効きすぎていること。

そのためにも、自分の声を聴き分ける努力が必要になるだろう。

その補助として音声スペクトラムを使ってみる。