3000Hzとアプリ

極論を言えば、発声というものを教えたり、教わったりすることはできない。

たとえば、耳を動かせる人はたまにいる。

でも、どうすれば耳が動かせるようになるのかということを説明できる人はいない。

解剖学者だってできないであろう。

言えるのは、耳を動かす神経が刺激されれば耳は動くということくらいだ。

しかし、それを可能にする方法が一つだけある。

それが、学ぶ、習うということ。

発声は学ぶことができる。

上手な人の隣にいれば、発声は上手くなる。

もちろん、そういう人の声を真似たいと思う気持ちは必要だが。

 

「もっと、背中に息を回して」と言われることがある。

でも、これは指導者が正しい声の出し方を教えているわけではない。

だから、背中に力をいれても、背中をマッサージしてもそれは無駄であろう。

「背中を回っているような音色を出しなさい」と読み替えるべきである。

背中の筋肉が回り回って、喉頭を後ろに引くとかそんな関連もあるかもしれないが、

それも根拠は乏しい。

 

では、なぜそのようなことを言うのか?

それは背中に声が回っていないように聞こえるからだ。

熟練者の声は、まるで背中からも声が出ているように聞こえる。

それと比べるから、もっと背中に息を回してと言う。

しかし、発声未熟者はそこに気づいていない。

上手な人の声を真似たいという気持ちが正しく機能していれば、そこの違いに気づくはずだろう。

自分の声と、先生の声を正確に比較できる分析的な耳こそが、

真似たいという正しい機能と考える。

たとえ自分で思うような声が出せなくても、それを聴き分ける耳は誰もが持てるはずだ。

もしそれが持てないとしたら、自分の主観がそれを邪魔している。

その主観がある限り、上達はどこかで止まるだろう。

自分の限界を超えるのは、自分の主観を越えるということだと思う。

 

最近、スマホのアプリで音声スペクトラムを表示してくれるものを練習に利用している。

自分の声の倍音の出かたが、はっきりと分かるし、上手な人の倍音の出かたとも比較できる。

どうすれば3kHz近辺の歌手フォルマントが出せるようになるのかは分からないが、

試行錯誤で間違った方向には向かわずにすむ。

そのとき、上手く3kHzが出たときの声を、

自分の耳でどのように聴こえるのかをしっかりと身体で覚えておくことが重要だろう。

3kHzというとかなり高い響きのはずだが、いくら高い響きを意識しても、これが全く出ない。

むしろ、基本波よりも低い倍音を出すような感じで発声すると、3kHzが出ているという感じである。

こういうところにも間違った主観というものがあるのだろう。