もっと〇〇する
発声練習の時、指導者から「もっと〇○して」という言われ方をすることが多い。
しかし、この「もっと」という言い方に混乱してしまう生徒が多いのではないだろうか。
例えば、「もっと喉の奥を開けて」と言われたとしよう。
本人はすでに最大限開けているつもりである。
それなのに、これ以上さらに開けろと言われてもどうすればいいのかわからない。
それは無理だという意識に変わってしまう。
そういう状態で更に開けようとすれば、身体に無理な力が入いるだけで、
出来ているところまで崩れてしまうことだってあるだろう。
「もっと〇○する」とは、今やっていることの延長線上にやるべき事があることを意味する。
しかし、こういう状態の多くは、開けるどころか閉じている状態の方が多いのではないだろうか。
音程が低いときは、しっかり喉が開けられている。
それが音程が高くなるとある瞬間に、喉が閉じてしまうことがある。
生徒は、高い声が出るか出ないかに意識がいっているため、
自分の変化には気づけない。
一旦、閉じてしまった喉を、その状態から開けるというのは無理に近い。
一度、低い音程に戻って喉を開けてから、やり直すしかない。
その時は、喉をもっと開けるという意識を持つのではなく、
閉じないようにする意識が大切になるのではないか。
そういう意味で、「もっと〇○」とは違うように思う。
指導において、こうすると良いという事と、こうしてはいけないという事があると思う。
発声においては、こうしてはいけないという性質がほとんどではないか。
それは、発声を妨げているのは自分自身であり、
ある特別なテクニックを習うことで上達するのではないのかもしれない。
前回も書いたが、「習う」という姿勢が重要になってくる。
正確には、習うと言うより、真似るであろう。
それも、外に表れてくる声を真似るのではなく、
見えない身体内部の使い方を真似る。
真似るというやり方は、非効率的であまり賢明ではないように聞こえるが、
「習う」という事よりも、より能動的であらねばならないことになる。
「私は今、習っています」というポジションにいる限り、上達はしないだろう。
そのポジションは、上達を妨げている自分のポジションだからである。
真似るには、一度、自分の思い込みを捨てなければならない。