良い生徒
「先生の言うことをちゃんと聞いていない」
「先生の言われた通りにしていない」
だから、正しい発声ができないのだという理屈になる。
「先生の言うことを一生懸命聞いて、そうしようと努力しています」
では、だめなのだ。
それは自分の気持ちでしかない。
やっていると思い込んでいるだけでは、いつまでたっても上達はしない。
もっと、出来ていない現実を自分で受け止める努力が必要になってくる。
出来ていなければ、やり方を変えるしかない。
試行錯誤を繰り返すしかないのである。
指導者の言われる全ての言葉の後に、
「~ということを試行錯誤してみろ」と受け止めるのがいいだろう。
やるのは自分自身である。
どんな優れた指導者であっても、身体内部の筋肉の使い方など指示できるはずがない。
「そうなるように努力しなさい」と言われていることを、習う側は忘れてはいけない。
それは、自己実現するための応援と受け取った方がいいのかもしれない。
「先生の言うことをちゃんと聞いていない」
「先生の言われた通りにしていない」
これには、ある真実が隠されていると考える。
自分ではそう思っていなくても、無意識にこのようなことをしているのではないだろうか?
その理由は、生徒というものは(指導者にとって)良い生徒であろうとするからだ。
後で練習の録音を聴き直してみるとそれがわかる。
言われていることが納得できていないのに相槌を打ってみたり、
言われていないことそれが良かれと思ってやってみたりしている。
それはすべて、良いパフォーマンスをしようという気持ちから生まれてくるので、
やっかいなことになる。
それは、できないことを誤魔化してやることになってしまう。