息をたっぷり流すとは

最近の発声練習で、チェックポイントとして気を付けていたのは、

 ・常に吸い込むような感覚で声を出す

 ・全方向への響き

 ・音圧増大の響き

 ・高音強化

それなりに効果が上がっていたのは実感できていたのだが、

あまりにも効果重視になっていたようだ。

どちらかと言えば、鍛えるという名目で力業に頼っていたのかもしれない。

 ・大きな声が出ていれば、息が流れている。

 ・高い声が出れば、喉を下に引っ張れている。

 ・倍音が上にも下にも出ていれば、響いている。

こんな感じになることを目標としてやっていたと思う。

しかし、目標は正しくても、その手段が正しかったのかと言えば、

それは分からない。

例えば、こんなことだって言える。

 ”もっと息を流すように言われた”

 ”大きな声が出ているので、息はたくさん流れているだろう”

 ”息を流すことは、大きな声を出すことだ”

 

目標だけに意識がいってしまうと、このようなことになるので注意が必要だろう。

これでは自己流になってしまう。

発声は、あくまでもやるべきことをやった上で、結果が伴わなければいけないのだろう。

 

「息をたっぷりと流す練習」

これを、「大きな声を出すこと」だと、勝手な解釈をしてはいけない。

まずは、小さな息から始めることが、何の練習においてもセオリーであろう。

まずは、「お腹を使わないで息を流す」ことから始める。

息を流すには、喉が開いている(声帯が緩んでいる)ことと、

強い腹圧によって呼気の量が増えることの両方が出来ていることだと考える。

どちらか一方ができれば、たしかに息は流れ、声量も増える。

しかし、そこでできたと勘違いしては、その先は無い。

声帯が閉まっているのに、お腹だけに力を入れてもいけないし、

声帯が緩んでいても、お腹に力が入っていなければ効果は少ない。

まず、小さな息で声帯が緩んでいることを確認できてから、次に移る。

そこで、急に息を増やしても、その反動で声帯が閉まってしまうことの方が多いだろう。

だからそこは、だましだましやっていくしかない。

自分の耳を澄まし、集中力を高めて、自分の声の変化を聴き取る。

息を増やすことで、途中音色が変わったなと思ったら、すぐにその時の声帯の感覚を記憶する。

そうやって、声帯が緩んでいる時と力が入っている時の感覚の差を身に着けていくしかない。

これは高い音でも同じで、心理的影響で必ず声帯に無駄な力が入ってしまう。

それが克服できて初めて、腹圧を使って息の量を増やすことが、許可されるのだと思う。

その二つが揃ったときにようやく、「息をたっぷりと流せた」と感じられるのだろう。