緊張するのは

発声指導者の前では、常に最高のパフォーマンスを出したいという思いが強くなる。

しかし、人前で歌うことで、モチベーションが上がり、普段よりも良い声が出る人もいれば、

いつもできていることが緊張のためにできなくなる人もいる。

そこで、どちらが良くてどちらが悪いと短絡的に考えてしまうと、

結果的には短絡的な練習を繰り返してしまうことになるだろう。

強いて言えば、「どちらも良くは無い」

ただ、技術的に不安定だと捉えるべきではないだろうか。

 

家ではできていることが、先生の前ではできなくなるのは、緊張が原因であろう。

しかし、精神的にはリラックスできているのに、緊張していると言われたらどうであろう。

緊張は精神論ではないということになるのかもしれない。

緊張とは心の問題ではなくて、本能的な反応なのかもしれない。

ただし、そのような状況を作り出しているのは、

自分の心や意図であると言えるのではないか。

 

例えば、それが最高のパフォーマンスを見せたいという思いだとしたら・・・

人は、誰しも褒められたいという願望があるだろう。

特に、歌を歌うという行為は、そういうことである。

そういうときには、モチベーションが上がることも、緊張することも同じなのかもしれない。

失敗すれば緊張だと表現し、成功すればモチベーションが上がったせいだと表現する。

その違いが分かっていない以上、それは技術がまだ不安定だと言うしかない。

だから、成功を良しとし、失敗を悪だと考えるだけでは、先に進めないと思う。

 

常に同じ状態を保つことができるというのが、発声の大原則であり、

それを美しさと考えることから、発声法というテクニックが生まれたのであろう。

舞台に立った時、自分の意識の置く場所が決まっていることも重要であろう。

練習の時と同じように、喉の感覚がつかめ、お腹の感覚や、聴覚にも注意が向いている状態を

作ることができれば、緊張はしないだろう。

逆に、緊張するとなぜか、身体を動かしたくなってしまう。

そこで、身体を動かしてしまうと、感じられるべき身体感覚が散漫になる。

 

最近はスポーツ選手の間で、「ゾーンに入る」という言葉が使われている。

ゾーンに入った選手は、たとえ大勢の観衆に囲まれた大舞台においても、

まったくそれを意識せず、自分だけの世界に入り込んで、高い集中力発揮できる。

自宅の個室で練習するときと同じだ。

しかし、発声指導を受けるときはちょっと違う。

なぜなら、最高のパフォーマンスを見せようとするから。

言われていること以外にも、意識が行ってしまう。

「たしか、喉を奥を広げなくちゃいけなかった。肩が上がってはいけない。

眉間に音を集めなきゃいけない」と、自分の知っているフルコースを持ち込もうとするから破綻する。

それでは、言われたことに専念することはできない。

焦らず、ゆっくりと、一呼吸おいてから、言われたことに取り組むようにしたい。