イメージと言葉 3

短期間で発声が上手くなる人。

おそらくそれは、一瞬の偶然を逃さない人だと思う。

一瞬、できたことを「これだ」と気づける人なのだと思う。

ちょっとした自分の声の変化に気づける人。

それには、毎日、自分の声を聴くことが大切だと思う。

毎日練習すればいいのは、皆わかっているが、なかなかできない。

でもそれはわかっていないからだと思う。

スポーツの毎日のトレーニングとは違う。

発声を学ぶとは、間違った発声を捨てて、新しい発声を学ぶのであり、

それは発声改造である。

発声改造中は、昨日の自分の声を憶えている間に練習しなければ、

せっかくやってきた偶然も聞き逃してしまうだろう。

改造するなら、毎日練習することだけが上達の早道だと思う。

 

発声が上手くいくのは偶然と書いたが、

その偶然の確率を上げる努力もした方がいいと思う。

そこに、「イメージと言葉」というタイトルが絡んでくる。

たとえば「喉の奥を開ける」というイメージ。

これが出来たと実感したときに、

もしこれを自分の言葉に置き換えるとしたら、どんな表現になるだろう?

と考えたことがある。

実は、それは「喉が閉まった」という感覚でもあった。

似たようなことは、他にもあり、

「頭頂に声が抜けるように」という感覚が、

「頭頂を塞ぐ」イメージでもあったりした。

つまり、頭頂にスピーカ膜のようなものがあったとして、

そこに息の流れがぶつかって、膜から音が放射されるとしたら、

息は頭頂から抜けるのではなく、頭頂で詰まって音が鳴る。

そう自分の中で理解しようとするのだろう。

これは、一つの同じイメージをでも、言葉にすることで、

まったく違う表現になったりするということである。

これは、よく指導者が悩むところだと言われるが、

生徒の側でも、この問題については知っておいた方がいいと思う。