四次元唱法
発声には段階があって、段階毎に意識する事柄が変わってくる。
例えば、「しっかりお腹で支えて」という指示があったと思うと、
「だら~んとして、どこにも力を入れないで」という相矛盾した要求がされるときがある。
これは、発声というものがバランスによって成り立っていることからくるのだろう。
小さなゴム膜(声帯)の両端に二本の紐を通して、上下に引っ張ってみることを想像する。
その引張り強さも可変できなければいけないし、
その時に位置が上に行ってしまうのもダメで、
下に行き過ぎるのもよくない。
だからバランスの上に成り立っていることになる。
それを知っておかないと、部分的にされる指導が単独で働いてしまい、
いつまでたってもバランスが取れずに終わってしまう。
この調整だけは、自分で獲得するしか方法はないと思う。
それは、相反する二つのことを同時に指導することはできないと考えるからだ。
たとえば、自動車の運転でアクセルとブレーキを両方同時に使って、
時速40キロで走らなければならないとする。
そのアクセルとブレーキの力の組み合わせは無限にあり、自動車の個体差もあるから、
どの組み合わせがいいとは具体的に指示ができないからだ。
だから速度メーターだけが頼りになる。
それを見ながら、常に調整し続けられる能力が必要とされる。
助手席にいつも指導教官を乗せて走るわけにはいかないし、
指導教官に頼れば、ずっと指示を受け続けなければ走れない。
良い声は、頭の後ろに引っ張るように聞こえ、
なおかつ前歯に音が当たるようにしなければいけない。
そして、高い音は頭のてっぺんから流れ出し、
それと同時に低い響きが、胸から放射されていなければならない。
この四つの方向は、まずは単独で練習(強化)されるが、
そのうちに相反する方向に逆の動作を交えていくことが求められる。
例えば、発声の世界では、「息を吸うようにして吐け」とか、
「横隔膜を下げながら、息を出せ」とか、恐ろしい指示が平気で飛び交う。
私もここでつまづいて、伸び悩んだ時期が長かった。
おそらく、単独動作から、連合動作への頭の切り替えができていなかったのだと思う。
それは、受け身の練習方法から主体的な練習方法への切り替えでもある。
受け身の練習とは、レッスンの録音だけに頼る練習も含まれるだろう。
連合動作(バランス)は、受け身の姿勢では決して獲得できないと思う。
自分の中に良い声のイメージが作られていなければ、それはできない。
そのためには、良い声を聴き取れる耳が必要となる。
そのセンサが、自動車でいうところの速度メーターになるのだから。