不随意筋に任せる

筋肉には、随意筋と不随意筋があると言う。

発声を習う人たちは、努力して、練習して上手くなろうとするので、

知らず知らずのうちに、随意筋を一生懸命使ってしまうことになるだろう。

しかし、残念ながら声楽的な発声では、随意筋があまり使われていない。

だから、指導者も発声方法を伝えるのにイメージでしか伝えることができない。

仮にフースラーのように、解剖学的に発声を説明できたとしても、

結局それが不随意筋のなせるものであったとするならば、何の役にも立たない。

しかし、役に立つこともある。

それは、随意筋が使われていないということを、知るのに役立つ。

もし高い声を出すときに、声楽的に必要とされていない随意筋が動いているとしたら、

その発声は間違ったやり方だと理解できる。

実際には、ある程度の音程の上げ下げであれば、間違った随意筋を使ってでもできてしまう。

しかし、そのやり方を捨てることで、正しい発声に導く引き金になるのではないか。

例えば、「喉を締めない」と言われるのは、喉を締めることで高音が出てしまうから、

ついそのやり方を使っていると考えればわかりやすい。

しかし、そういう人が喉を締めることを止めてしまったら、

高音どころか、中音すらも声が出なくなってしまうかもしれない。

そのやり方に代わる、正しい高音の出し方を知らないからである。

たとえば熟練者は、いくつかの発声方法を持って、曲の中で声質を使い分けることができる。

発声を習う者は、そこで無理だとあきらめてしまわず、喉を締めないやり方で根気よく続けるべきだと思う。

そうすることで、自然に正しいやり方がその人の喉にインストールされていくのだと思う。

それは、正しいやり方を習うということではなく、間違ったやり方を捨てさえすれば、

自然にその状態に対応した発声方法に向かって、不随意筋が活動し始めると考えればいいのではないか。

もしかしたら、指導者がああしなさいこうしなさいというのは、

そうすることが正しい発声なのではなく、そうすることで間違った発声にならずにすむという、サポートなのかもしれない。

その証拠に、プロの声楽家はどんな姿勢でも歌えるというし、

正しい声が身に着くと、それまでやっていたサポート動作が不要になるという。

「肩が上がる」人は、肩を下げて練習することで、新しい筋肉が使われるようになり、

そうなれば、その後に肩を上げたとしても正しい発声はできると思う。

今は、身体のあちこちに意識が向けさせられて忙しいかもしれないが、

いずれは何も意識せずにできるのだろう。

そのためにはあまりサポート動作に意識が向き過ぎるのもよくないと思う。

常に自分がどんな声を出したいかということにまず意識が向かっていることが必要だろう。