吸い込みと押し込み

今、AI研究者の出した読解力の書籍が話題になっていると聞く。

「一を聞いて十を知る」という言葉もあるが、

何かを習うということにおいて、読解力は重要だろう。

一を聞いて一を理解することは、あたり前のように聞こえるが、実は難しい。

特に発声に関しては、かなり難しい。

それは理解することにおいて、

自分の経験値の中から回答を求めようとしてしまうからではないだろうか。

つまり指導者の言うことに納得するということは、

「自分はそれを知っている」、知っている事柄だから自分は納得できた、

と考えてしまうような気がする。

ということは、自分が知らないこと、

未経験なことには納得できないという無意識の抵抗のようなものが潜んでいるのではないか。

 

私は、先生のレッスン録音を何度も繰り返し聞いている。

もちろん、しっかり理解しようと思って聞こうとしているが、

後になってようやく言われていることが解ってくることもある。

それも、自分で経験できたことによって、納得の方が追いついたのではないかと思う。

 

昨晩、「吸い込むように声を出す」ということに、初めて納得した。

私の中ではかなり昔から、「吸い込み唱法」「押し込み唱法」と呼んでいる感覚がある。

それがどちらも同じように聞こえていた。

歌う側としては、吸い込むより、押し込む方が楽に声が出る。

押し込むことで、呼気の圧力が高まり流速が上がって高音が出る。

ただ残念なのは、呼気の流量が抑えられてしまうことだ。

先生は、これを「喉が閉まっている」とアドバイスする。

「もっと息を後ろを回して」と言う。

つまりこれは、吸い込み唱法をやれと言っているわけだが、

私はそれを理解せずに、喉が閉まらないようにするにはどうすればいいのか?

息を後ろに回すにはどうすればいいのか?ということに頭がいってしまう。

これではうまくいくわけがない。

押し込み唱法を保ちながら、息を後ろに回そうとか、

喉を開こうと考えているわけだから、矛盾が生じて当然である。

「吸い込み唱法」と「押し込み唱法」は、録音で聞くとその音色は全く異なっていた。

しかし、歌っている時にはそこに気づかない。

むしろ歌い応えのあるのは「押し込み唱法」だ。

先生は、息を後ろに回すのは歌っていてちょっと頼りないくらいに感じるという。

まさにその通りだった。

しかし、胸声はしっかりと鳴っている。

もっとその胸声に耳を傾けなくてはいけないのだろう。

吸い込むのも押し込むのも同じ音色に聞こえていたのは、

胸声の響きを聞く耳ができていなかったのだと思う。