発声は気持ち良い

発声は他の習い事とは違って、

「なるほど!そうなのか」、とその場で納得できる事って少ない。

「でも、どうやってやるんだろう?」、と頭を抱えることの方が多い。

おそらく誰もがそう感じているだろう。

それはそういうものなのだから。

だから、「悩むことも不本意ながら発声のうち」、

と考えるようにする。

そこが他の習い事と違うところ。

それが面倒くさいとか、つまらないと思う人は、

おそらく向いていないだろう。

コツコツと反復練習を繰り返すことが得意な人は、

努力の結果がスモールステップとして掴みやすい、

楽器の方が向いているのかもしれない。

 

では、発声の楽しみって何だろう?

目に見えて確実に上達が期待できるわけでもないのに、

なぜ発声をやり続けるのだろう?

その答えは、「気持ち良さ」ではないかと思う。

人間は、大昔から声を出していた。

むしろ、今よりももっと大きな声、もっと高い声、

もっと低い声を、自在に操っていたのだろうと思う。

言葉がまだ未発達だった時代、声は感情と一体であった。

私たちの発声器官は、まだその名残りを留めている。

もしかしたら、何千年後かにはその機能も退化してしまっているかもしれないが、

まだ私たちには数オクターブの声を出す能力が残っている。

 

発声が上手くいったときは、気持ちがいい。

それは、出来たこと、難関を超えたことが気持ちいいのではなく、

発声そのものの気持ち良さだったのではないか?

自分の声が部屋中に響いたり、その振動が身体に伝わったりすること、

それが本能的に気持ち良いのではないかと思う。

お風呂で声を出して気持ちいいのと同じ。

その気持ち良さを、再現しようと思う気持ちが、

本来の発声器官として能力を蘇らせるのではないかと思う。

だから、先生の言われたことを、

「それが出来たときは、きっと気持ちよくなるはずだ」

「先生は、きっと声を出すことが気持ちよくてしょうがない」

と信じることが成功の秘訣ではないかと思う。

決して、高度な技を習得しようなどと思ってはいけないだろう。

本来の自分の声を復活させるという考えの方が、

生物学的にも正しいのではないか。