地声のような声

<ファルセットのポジションで地声のような声を出す>

簡単に言えば、これが指導者の言わんとするところである。

それはある意味、プロ(熟練者)だからこそ簡単に言える言葉であり、

習う側には、全く捉えどころのない言葉となるだろう。

むしろもっと難しく表現されなければ、分からない人には理解できない。

でも、難しさだけを理解できれば、分かるようになるのは早いだろう。

 

まず、自分の中のどんな概念が、先の言葉の理解を邪魔しているのか考えてみる。

それは、<プロは、地声でファルセットも出せるのだろう>ではないか。

なぜなら自分の耳にはそう聴こえるからだ。

言葉で言われたことと、自分の聴覚で感じたことがここで喧嘩している。

そこを仲裁しなければならない。

 

プロ歌手は、まるでマジシャンのようにファルセットの声を地声に似せて、

さも地声で歌っているかのように聴かせるのが仕事なのかもしれない。

そのトリックの種明かしを指導者がしてくれるのが発声指導。

そのトリックに気づかずに、プロの声だけを真似しようとするのが素人。

それが邪魔をするのだろう。

 

まずは、自分の耳を信じずに、

指導者の言葉だけの理解に専念するのが早道だと思う。

<地声のような声>とは、声量が大きく、低い響きを伴った、芯のある声である。

ファルセットがこの逆だとすれば、この二つを両立させることは難しい。

それを並列させろと言うのだろう。

その中間ではなく、それぞれ独立した別系統だと考える。

だから、それを聴く場合にも、別々に聴き取ることが必要となるだろう。

トリックに騙されないように聴き分ける能力をつけることこそ、

声を出すことよりも先んじられなければならないような気がする。

地声の<ような>に気づけたとき、そこから練習が始まる。

お腹が膨らむイメージ

お腹を膨らませるようにして声を出すという指導法がある。

まず、普通に息を吐いてみると、お腹は徐々にしぼんでいく。

今度はもっとリラックスしてゆっくりと息を吐いてみる。

お腹は、しぼんでいるような気もするし、変わっていない気もする。

おそらくお腹の表面だけで感じてみると、

あまり変化がないというのが正解なのだろう。

ただし、めいっぱい息を吐いた後に息を吸うと、

しっかりとお腹が膨らんでゆくので、

気がつかないうちにはしぼんでいるのだろう。

 

私たちは、イメージとして息を吐くとお腹がしぼみ、

息を吸うとお腹が膨らむと思っているのではないか。

それは科学的には正しいのだろうけれど、

感覚的には、息を吐いてもほとんどしぼむことはないと思った方がよさそうだ。

息がしっかりと最後まで吐ききれないのは、

途中でお腹が固くなってしまうからだと前回に書いた。

しっかりと吐こうと意識することが逆にお腹を拘束してしまい、

結果的に息は流れなくなるのではないか。

 

息を吐くとは、横隔膜の上昇運動だけが関係しており、

お腹が膨らむとか引っ込むというのはその結果であり、

お腹の運動で息を吐くわけではないのだろう。

お腹を膨らませながら声を出すのは、あえて逆のことを意識させることで、

イメージに引っ張られてお腹を引っ込め、固めてしまうことを防いでいるのだと思う。

お腹だけでなく、喉も頭も胸もお腹も身体全体が、

大きく広がっていくようなイメージに変えることで硬直を防ぐのだろう。

リップロールとファルセットの連携

ファルセットに続きリップロールについても考えてみる。

リップロールは、声帯を使わないで唇と息だけで音に変換しているため、

音の高さは息の強さのみで調節することになる。

それに対して発声では、声帯と息の強さで音高を調節している。

言わばリップロール練習は、息だけを抜き出したトレーニングと言える。

唇がブルブルと震えるかどうかは、この際問題ではない。

音高に比例した息の強さが必要で、

その息の強さを連続的にコントロールできるのは、

どんな感覚を身体の中に持たなければいけないのか?

というのが目的だと思う。

ファルセットの話と同じで、目的をしっかりと認識した上でやらなければ、

なんの効果もない練習と言えるだろう。

 

 実際にリップロールをやってみると、ラの辺りで息が詰まってくる。

出るには出るのだが、それまでと違って滑らかにラの音に繋げられない。

連続的ではない。

そこから音を下げてくると、また息が流れ出して大きな音量に戻る。

息が詰まる原因は何だろうか?

声の場合だと、人間は本能的に高い音に対して声帯を守ろうという生理現象が働くので、

喉が閉まってしまい、息が流れないというのはよくあること。

しかし、それを防ぐために声帯を使わないリップロールでも声帯が狭くなってしまうのはなぜだろう?

もう一つの原因として、お腹が固くなるという現象がある。

肺の中の息が足りなくなるのではなく、

息を強く押し出そうとする意識が、逆にお腹を固定しまって息が出せない。

そこで、お腹に意識を集めるため、お腹を大げさに動かしてリップロールをしてみる。

お腹を柔らかくダイナミックに動かし続けるというのが、硬直の防止になる。

上手くお腹が動き続けた時は、リップロールの音も最後まで滑らかに上昇していく。

最後はファルセットの助けも借りて最高音に到達するのだが、

まるで声を出しているような感覚になる。

 

 リップロールの後に、声を出してみる。

さぞかし上手くいくと思いきや、そうはいかない。

あくまでもリップロールは、お腹だけの練習であり、

声帯とお腹の連動する練習にはなっていないからだろう。

そこがこの練習のポイントになる。

むしろ、そこをおろそかにして、ルーティーンとしてリップロールをやっても

おまじないくらいにしかならないだろう。

前回書いたファルセットの練習と、リップロールを結び付けた意識を持ってみる。

すると、弱々しかったファルセットの声に、

強い息が当たることで地声のような響きを持つようになるだろう。

脳を書き換える練習

 私たちは発声筋群を自由に操ることはできない。

自由に操ることができるのは、目に見える身体の表面の筋肉群だけだろう。

内臓やインナーマッスルは、直接動かすことはできない。

しかし、間接的になら動かす方法がある。

例えば、声帯を閉じろと言われても誰も閉じることはできないが、

声を出せと言われれば、誰でも声帯を閉じることが可能である。

発声指導というものは、このような間接的な指導でしかあり得ない。

そのことを習う側がよく理解しておくことが大事だろう。

スポーツのような型を習うものではないということを、

理解しておくことが大事だろう。

 

 たとえば、ファルセットが発声練習に効果的であることは誰もが知っている。

しかし、いくら素人がファルセットを練習しても、

ただファルセットが上手くなるだけで、発声が上手くなることには繋がらない。

そこを繋げることが今回の目的。

それを妨げているのが、ファルセットに対する間違った考え方。

それを持ち続けている以上上手くはならない。

それを変えない限り、ファルセットの練習は効果を持たない。

発声練習とは脳の書き換えることだと思う。

声の出し方についての再インストール。

 

 まず、普通に音程を上げながら声を出してみる。

ある程度の高さにくると、声が詰まって声が上がらなくなってしまうだろう。

そこで裏声でもいいと言われれば、もう少し高い声が出るようになる。

これが、私たちの持っているファルセットの概念だと思う。

これだけでは上手くならない。

このファルセットの特性を、

感覚と想像力を持って正しく捉えなければいけない。

それが分かるまで、ファルセットを出してみる。

いろんなやり方で出してみる。

すると解ってくることがある。

それが再インストール作業。

 

ファルセットの声は、地声よりも身体の後ろから真上にかけて鳴っているように聴こえる。

ファルセットの声は、息が漏れるように大量に流れ出ているように感じる。

そのせいか、声は地声よりも抜けたような弱々しさを感じる。

よく指導者から、声を後ろに回してとか、息を流してとか言われるのは、

このことであったかと繋がってくる。

先に書いた間接的な指導でしかないと言うのは、

声を後ろに回せと言われてもそうすることはできないが、

ファルセットを出すことで後ろに回すことができるということになる。

「ファルセット=声が後ろを回る、息が流れる」というように繋げることが大事であり、

それが再インストールになる。

 

また、ファルセットの時は、顔や唇や身体に力が入っていない。

地声と違って、身体に力を入れなくてもファルセットなら出ると信じているからだ。

実際に身体の表面の筋肉には力が入っていないが、

大量を息を流す必要があるインナーマッスルはしっかり働いているのだろう。

そうでなければ、高い音は出ないからだ。

脱力していても声は出るというのがファルセットなら、

声の変換効率のいい地声なら、もっと脱力してもいいはずだ。

その脱力した状態で声を大きくしてみる。

何度か繰り返せば、そのコツが分かるようになる。

それがインナーマッスルが働いている時だろう。

そうやって、発声指導で学んだポイントを自分の身体に置き換えて確認していくこと。

それが、正しい発声練習だと思う。

そうすれば、先生に言われていたことが、ことごとく繋がってくることが解る。

最終的にはそれが、一つのいい声としてまとまるのが理想だろう。

こもった声と深い声

こもっている声と深い声とを混同しているのだと思う。

これを自分の耳で聴き分けるのは難しいのだろう。

日本人に男声オペラ歌手を真似させると、

こもった声を真似る人が多いように思う。

深い発声は簡単に真似できるようなものではなく、

こもった発声ならすぐ真似できるからだろう。

しかし、こもった発声をいくら練習して磨いたとしても、

深い発声にはならないのだろうと思う。

むしろやればやるほど間違った方向に向かってしまうのかもしれない。

 

深い発声を目指すのに、首の後ろ側を広げるとか、

吸い込むようにとか、後ろに向かってという意識を叩き込まれる。

それはたしかに効果的であることは実感できるが、

それは直接的な指導ではなく、弊害もあり得るのではないかと思うようになった。

指導者は、生徒の達成度合いに応じて、臨機応変にその指導方法を変えていく。

今までは後ろに引くようにと指導されてきても、

今度は前に飛ばすようにと全く逆のことを言われることもある。

つまり、発声訓練には誰にも共通する正しいメソッドがあるのではなく、

その人の状態に応じたバランスのとり方を教えてくれているのだと考える。

これで言い換えてみると、

「声を後ろに引くから、深い発声になるのではなく、

 後ろに引くことで、喉が広がり易くなる。

 喉が閉まりにくくなるから、深い発声になる」

 

ではこもった発声とはどういう状態であろうか。

「喉が広がっていない状態で、低い響きが強調されている」

と考えてみる。

実際の感覚では、吐く息の量が少ない。息が流れていない。

たっぷりと大量の息を流すことで、低い響きも結果的に増えるのではないかと思う。

オーディオで言えば、イコライザで低音部分だけを強調するのではなく、

全体の音量を上げることで、自然に低音も高音も大きく聴こえるのではないか。

特別に響きを意識することよりも、響きは結果的に付いてくるもの。

息を流すことを一番に考えればいいというように考えるようにしている。

これで結果的に、高い声も出るようになってきている。

 

 komo

良い声とは何か?

発声練習とは何か?

良い声を作り出す練習。

では、良い声とは何か?

以前は、美しく心地良い声と書いていた。

ならば、「ア」と「イ」ではどちらが美しく心地良い音だろうか?

「ア」の音からは、まろやかで甘美な柔らかさが感じられ、

「イ」の音からは、鋭い透明感のある煌めきが感じられる。

ちなみに「ウ」には、懐かしさ、優しさが感じられ、

「エ」からは、コントロールされた抑制のイメージが浮かび、

「オ」からは、穏やかな安定が感じられる。

 

感じるイメージが人それぞれのように、

良い声も人それぞれなのではないか。

自分が良い声だと思って出している声も、

もしかしたら聴く人にとっては違和感のある声なのかもしれない。

つまり、自分の感覚で良い声を判断してはいけないということから、

発声練習が始まるのだと考えてみる。

 

今、自分やっている練習方法は、

「ウ」の音を、思いっきり後ろに引いた声にする。

次に「オ」を思いっきり、下に向けた声にする。

「ア」は前に出し、「エ」は両横に向かって、

そして「イ」は天井に向けて。

それぞれに特化した声を出してから、

次は、「ウ」のと方向性を残したまま「オ」の声を加える。

こうやってフースラーのアンザッツのように、

継ぎ足しながら全方向の響きの要素を残した「イ」に到達させてみる。

 

こう考えると良い声とは、

甘美で柔らかく鋭い透明感があって優しく抑制された穏やかな声、

ということになる。

つまり混ざり合った声、ブレンドされた声。

逆に下手な声とは、単一の声、ブレンド量が少ない声となる。

発声に限って言えば、シングルモルトウイスキーではダメなのだろう。

いくら単一の声を極めようと努力しても、足りない声がある以上、

良い声にはならないと思う。

 

発声が初心者にとって難しいのは、

自分の声の足りない音色の存在に気づけないことではないか。

他人の声との比較、プロ歌手の声との比較が大事だと思う。

 

 

 

母音唱法とインナーマッスル

母音唱法という練習方法がある。

歌詞を付けて歌う前に、全て母音だけで歌ってみるというやり方だ。

母音で歌えば上手くなるのか?

確かに声の良さは、母音の発声で決まることくらいは分かっている。

子音の発声は、その母音の発声を邪魔するわけだから、

これによって正しい発声が乱されないように母音唱法で練習をする。

 

母音唱法をやって、発声が良くなるまで続けているだろうか?

ただ、母音唱法が発声に良いと思ってやってはいないだろうか?

「良いからやる」?

勝手に良くなるのだろうか?

それをすれば良くなるのだろうか?

 

これをやれば上手くなるという練習法など無いと思う。

けれども、これをやると下手に聴こえるというのはあると思う。

母音唱法がそれなのだと思った。

シンプルでゆっくりとした美しいメロディの曲を、小さな声で、母音唱法で歌ってみる。

難しくは無い。

出来るか出来ないかという点においては、難しくない。

しかし、それが音楽的であるのかどうかと言えば、難しい。

減点ポイントが幾つも感じられる。

音程が動く時、音色が変わる。

母音が動く時、スムーズに移行しない。

母音によって、音色が変わる。

このような自分の発声の欠点に気づくかどうかが、

この練習の持つ意味だと考える。

ただ、母音で歌えば上手くなるわけではない。

欠点を修正するところに練習の意味がある。

 

もっと、一定で滑らかに歌えるように試みる。

何をするかではなく、ただ良い声に近づくように母音唱法を繰り返してみる。

目標にしたのは、声がうしろに吸い込まれるような感覚と、

喉の後ろが、広がるような感覚。

そして、声の出る発声ポイントがなるべく下の方にある感覚。

その結果、少しづつ声が良くなってきた。

その時に、身体に感じたことは、

背中が鳥の羽のように僅かに広がるような筋肉の動き。

そして、お腹が下に下がるような筋肉の動きだった。

しかも、この背中とお腹の筋肉は、表面の筋肉ではなく、

内部の筋肉の動きであったこと。

ようやくインナーマッスルの感覚に辿り着いたという実感が得られた。

これまでの背中の広がりや、お腹の支えという動きは、

意識的に筋肉で動かしていたものだと分かった。

しかし、今はそこを意識的には動かしてはいない。

結果的に、そこが動くのだと分かった。

良い声とインナーマッスルが紐づいていなければならない。

良い声を出している時に、インナーマッスルが働いていることに気づかなければいけない。

インナーマッスルを動かすことは難しいが、

インナーマッスルが動けば良い声になる」わけではなく、

「良い声が出る時にインナーマッスルは働いている」という、

受動的な考えの方が近いように思う。

良い声が出ているサインだと思えばいい。