必要性が技術を導く

前回は、両掌を180度に広げた状態から徐々にその角度を狭め、

そうすることで強く伸びのある声になったように感じる話を書いた。

今度はそれを応用して、少し違うやり方にしてみる。

目の前に人差し指を二本立てる。その間隔は2cmくらいだろうか。

そこに息を通す練習をしてみた。

狭い声帯の間を息が通り抜けるイメージだ。

音程が高くなるにつれて、その隙間を狭めてみる。

狭まれば狭まるほど、息を通すのに力が必要となってくる。

そして最高音をむかえると、二本の指はくっついてしまい、

息も止まってしまった。

もしこのように、高音発声が息を止めてしまう原因になっているのであれば、

高音の発声方法を見直さなければいけないだろう。

そこで、声帯を引っ張って、張力を上げるイメージを取り入れてみる。

先ほどの指を使って、目の前にイメージされた声帯膜を上下に引っ張るようにして音程を上げてみる。

おや? この感覚どこかで記憶にある。

「喉の縦開き」

「喉仏を下に下げる」

「お腹の下に力を入れる」

この感覚と同じではないか。

これらは、すべて同じことを指しているのかもしれない。

この三つの言葉を、それぞれ別に意識してやろうとするのは難しい。

でも、それが一つのことであると分かればそれは容易いになる。

 

張力が上がったぶん、音程も楽に上げられるようになった。

さらに、息から声に変換する効率が良くなったのか、

少ない息でも大きな音量が得られるようになった。

若干、音色が硬くなったので、首回りを柔らかくするような意識付けをしてみた。

尺八の首振りのような動きを取り入れて、自然なビブラートがかかるようにしてみる。

すると、今度は息が大量に必要となった。

でもその息の大きな流れは心地よい。

「声に息を混ぜる」ということだろう。

 

これが自主練習の大事なポイントだと思う。

必要性に応じて、それを補う動作が付いてくるのが理想だ。

ただ、がむしゃらに息の量を増やすという特化した練習をするのではなく、

喉がちゃんと開けるようになった人が、それによる息不足を補うために

必要に応じた息が送り込まれることが自然な動きを導くのだと思う。